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「オシム 終わりなき闘い」
木村元彦 著 NHK出版
紛争終結からまもなく20年を迎えようとしている、ボスニア・ヘルツェゴビナ。この国で人々がいかに暮らしてきたか、そして、人々の心の中にどのような感情、葛藤が渦巻き、そして、様々な愛が抱かれてきたか。
すべてを知ることは誰にもできないのですが、サッカーを愛する人々が、ボスニア・ヘルツェゴビナという国を舞台に、どのように生きてきたかを知りたいのであれば、この本を是非手にしてほしいと思います。
この本は2011年にFIFA(国際サッカー連盟)からボスニア・ヘルツェゴビナが加盟資格取り消しにされてから、オシムさんを中心とした正常化委員会が立ち上がり、ボスニア・ヘルツェゴビナ国内を奔走する日々を中心に描かれています。しかしながら、著者である木村元彦さんの旧ユーゴスラビア地域での長年の取材と経験が、多くの人々の言葉を紡いできたことで、ボスニア・ヘルツェゴビナの過去と現在を多角的に見つめることができるようになっています。
サッカー関係者に限らず、バスケットボール選手、映画俳優、政治家、ジャーナリスト、そして、難民となっても祖国を愛する人々。ボスニア・ヘルツェゴビナを心から愛する人々が様々な立場からあの戦争、そして、今を語っています。そのため、どこかの民族に偏ったり、第三者的に軽い言葉で語っていません。だからこそ、今のボスニア・ヘルツェゴビナを知るに最良の書といえます。
大学までバスケットボール選手だった私個人としては、ディノ・ラジャがボスニア・ヘルツェゴビナを応援し、民族を越えた絆について語っているところに心が震えました。サラエヴォ、モスタル、トレビニェにいる私の友人たちと全く同じことを語っていたからです。
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―クロアチアボスニアはかつて同じ国であった……あなたにとっては今でもひとつのユーゴスラビアという同じ概念の中で友情はずっと続けている、ということでしょうか。
「当然です。私はそういう環境の中で長く過ごし、そのように育ちました。誰とでも仲良くするべきです。起きてしまったあの悲惨な戦争は予想もしないものでした。一日でも早く忘れるべきです。悪を働いた人は裁判で裁かれなけれなりません。しかし普通の人は隣人同士仲良くするべきです。人生は続いてゆき、後ろに戻るのは最悪なことです。」
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まだ中学生の頃、1992年バルセロナ・オリンピック。
マイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソン、ラリー・バードといったスーパースターを集めたアメリカ代表のドリームチーム(後にも先にもこのチームが唯一のドリームチームと言えると私は思っている)が、世界中の人々をバスケットボールの虜にしました。
華のあるスーパープレーの数々。そして、何よりも強く、スマートでかっこいい。誰もが憧れるチームで、私も含め、多くの少年たちがバスケットボールを始めるようになりました。
そのドリームチームが決勝で対戦したのが、ユーゴスラビアからの独立まもないクロアチアでした。
派手なプレーで観客を魅了するドリームチームに対して、ドラジェン・ペトロビッチを司令塔に細かいパスワークで計算された作戦でフリーを作り、トニー・クーコッチを中心とする正確なシュートで対抗するクロアチアのプレーは見事でした。
そして、誰もが予想しなかった瞬間が訪れました。
前半。コツコツと得点を重ねてきたクロアチアが速攻からドリームチームを切り裂き、最後はドリームチーム顔負けの豪快なダンクで逆転したのでした。
そのダンクシュートを決めたのが、ディノ・ラジャでした。
同じくユーゴスラビア代表のバスケットボール選手、ブラッディ・ディヴァッツの言葉が私をユーゴスラビア、ボスニア・ヘルツェゴビナに導いてくれたことを思い出すとともに、本書で紡がれたディノ・ラジャの言葉の数々は私の胸に深く刻まれました。
ボスニア・ヘルツェゴビナのこれから、そして、サッカー界のこれからを担う人々の多くも登場する本書は、きっとこれからボスニア・ヘルツェゴビナについて学ぼうという学生や、ボスニア・ヘルツェゴビナに行こうという人々にとって多くの助言を与えてくれるものと思います。
『誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡』、『悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』、『オシムの言葉』でも、日本の多くの人々にユーゴスラビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、そして、戦争とサッカーを伝え、感動を与えてきた木村元彦さんですが、今回も重厚で、心の奥に染み渡る本を私たちに届けてくれました。
心から感謝したいと思います。
Hvala ljepo, majstore!!
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♪追記♪
本書を読み、ボスニア・ヘルツェゴビナの戦争に関心を持たれた方は写真で紹介しています、佐原徹哉さんの名著『ボスニア内戦 グローバリゼーションとカオスの民族化』をお読みいただければ幸いです。
ボスニア・ヘルツェゴビナでの戦争はよく「民族紛争」という言葉で表現され、民族と民族が宗教の違いで対立し、殺し合ったととらわれていますが、「民族」という言葉や、「戦争」という言葉である意味で美化されているということも是非忘れないでほしいと思っています。
先に紹介した木村元彦さんの本でも紹介されているように、ボスニア・ヘルツェゴビナでは民族が違うことでいきなり人々が憎しみ合って戦争を起こしたのではありません。
誰もが予想もしなかった戦争を、一部のならず者たちによって好き放題に荒らされまくったのが、この戦争です。
その詳細をわかりやすく、一次資料をもとにして紹介しているのが、この本です。
是非、お読みください。
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