「民族」という言葉は、もっと大切に
- sfp2000
- 2014年11月18日
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今日の朝日新聞夕刊の「サラエボ100年をたどって」の第6回。
その最後の一文。そこに価値を感じます。
「セルビア人の学者をセルビア人の狙撃兵がねらう皮肉。たとえ少数でも、リュボミルさんのような人がいたことを考えれば、ボスニア内戦を単純に「民族紛争」と形容はできない。私はそう感じた。」
ボスニア内戦を「民族紛争」という冠だけでとらえてしまうことは、本当に危険なことであると思います。この国の人々が、「民族」というもので勝手に価値づけられていることに心から憤る気持ちを少しでも受け入れていかなければならないと思います。

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