「真実」を見つめる心を育てることこそ……
- sfp2000
- 2015年2月9日
- 読了時間: 3分
教育の問題において、歴史問題は、日本のみならず、世界中で課題になっているものです。ここボスニア・ヘルツェゴビナにおいては、この歴史認識が教育の世界にどのように反映されるのかが、未来にとって大切です。
今日の記事のポイントです。
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「どの虐殺行為も等しく非難されるべきです。それが次の戦争を防ぐ道、歴史教師の責任なのです」。マトシェビッチさんはそう語って、ため息をついた。
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(2月6日付朝日新聞夕刊より)
私が初めてサラエヴォを訪れたのは、1999年。
その時、NGOが派遣してくれた初等学校で日本語の授業をする際、授業前の教師たちとの打ち合わせで、日本語授業のためにクラスを与えてくれた英語の教師が内戦の話を始め、対立する民族に対する憎悪をむき出しにして内戦中の惨状を語り、最後にこう言ったのを今でも覚えています。
"I know the truth!!"
「私こそ真実を知っている。」
その言葉に衝撃を受けたことを今でも覚えていますし、あの時のあの教師の顔を今でも忘れられません。
ただ、その時から、今も変わりませんが、私にとって「真実」のとらえ方は一貫して秋野豊先生の言葉に貫かれています。
「自分で見たものこそ真実」
だから、様々な人たちの言葉には耳を傾けますが、それを「真実」と言ってしまってはいけないと思っています。「真実」というものは、語る人がいればいるほどあるものであり、そのとらえ方によって全く違ったものにもなりうるものです。
「自分で見たもの」を大切にすること、忘れてはならないと思います。
私の原点である秋野豊先生は、常に私の心の奥にドンっと座ってくれています。
さて、話は歴史問題に戻ります。
歴史問題を考えるときは、本当に慎重にならなければいけないと思います。歴史を学ぶことが未来を見つめる目を育てますし、現代の課題をとらえる感覚を養うと思います。
だからこそ、歴史は様々な視点から見つめる必要があります。
今回の朝日新聞の記者が取り上げたアリッチさんの取り組みは、とても大切なものだと思います。自国や自民族の歴史を卑下してみる必要はありませんが、何をして、何が起きたのかを多角的な視点から見つめることで、「冷静に」とらえることは大切です。感情的にならず、非を認め、様々な真実を見つめていくことが、歴史を学ぶことであり、自らの歴史に誇りを感じ、そして、他国や異なる民族や文化に対する寛容性を養います。
日本人としても、8月を前にいろいろと考えさせられる「歴史」。
地球に生きる人として、これからも様々な視点から見つめていけるよう努力していきたいです。

詳しくはこちら→http://digital.asahi.com/articles/DA3S11590241.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11590241
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