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EURO2016予選

3月29日(日)4:45 Kick Off ※日本時間

ボスニア・ヘルツェゴビナ vs アンドラ

 スシッチ監督の後任として、「メシャ」こと、メフメド・バジュダレビッチさんが代表監督に就任しました。新監督については、下の特設コーナーをご覧ください。

 

現在の順位

【EURO2016 予選ラウンド】

 グループB

1位 イスラエル

2位 ウェールズ

3位 キプロス

4位 ベルギー

5位 ボスニア・ヘルツェゴビナ

6位 アンドラ

新代表監督はメシャ・バジュダレビッチ

 ボスニア・ヘルツェゴビナサッカー連盟は、サフェト・スシッチ監督の後任として、「メシャ」ことメフメド・バジュダレビッチ監督にボスニア・ヘルツェゴビナ代表「ズマイェヴィ」を託しました。

 2014 FIFA World Cupブラジル大会に、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表の初出場を決め、歴史的勝利を挙げたサフェト・スシッチ監督でしたが、続投したEURO2016予選では、結果が出せず解任されました。

 初戦のキプロス戦に負けたことが響き、その後のウェールズ戦、ベルギー戦でも勝利がなく、グループ5位と信じがたい状況になっています。

 そんな厳しい状況で、バトンを渡されたのが、メシャさんです。

 3月29日の初陣まで時間がありますが、絶対勝利と、予選突破を国民に期待されている中での指揮なのでプレッシャーも相当なものだと思います。

 しかし、メシャさんはそんなプレッシャーにも負けない素晴らしき監督です。

 まだ、日本のみなさんにはなじみのない名前なので、メシャさんを紹介したいと思います。

ボスニア・ヘルツェゴビナ、そしてユーゴスラビアのスター選手

 

 メシャさんは、1960年生まれの54歳。ボスニア・ヘルツェゴビナ東部の町、ヴィシェグラードに生まれました。生まれ故郷のヴィシェグラードはノーベル文学賞作家のイヴォ・アンドリッチが代表作である『ドリナの橋』の舞台として描かれた町で、そのソコルル・メフメト・パシャ橋は今もヴィシェグラードのシンボルとなっています。

 

 メシャさんは1979年にサラエヴォの名門チーム、「ジェーリョ(ŽELJO)」ことジェリェズニチャル(Željezničar)でプロデビューし、当時監督だったイヴィツァ・オシム監督のもとでその才能を開花させました。当時、ジェーリョはユーゴスラビア1部リーグの優勝を争うほどの名門で、1980-81シーズンのカップ戦では決勝まで勝ち進みました。決勝では惜しくも敗れ準優勝でしたが、その実力は確かなものでした。なお、この決勝で優勝したのは、同じボスニア・ヘルツェゴビナの街モスタルのヴェレジュ(Verež)でした。ボスニア・ヘルツェゴビナは多くの名門クラブを有した地域だったのです。

 さて、メシャさんは、オシム監督と共にプロ生活をスタートさせた後、ジェーリョの10番、絶対的な司令塔として活躍しました。卓越したドリブルテクニックと、多彩なパスワーク、そして、強烈なシュートと、当時の「サラエヴォの王様」でした。キャプテンとしての資質もあり、フランスに移籍するまで、チームの大黒柱としてジェーリョを支えました。

 今や、マンチェスター・シティで活躍するエディン・ジェコがジェーリョを代表する選手となりましたが、ジェコの前はこのメシャさんが「ジェーリョの顔」でした。

 ジェーリョでは通算229試合出場22ゴールを記録しています。

 

 1983年にはユーゴスラビア代表に招集され、そこから、タレント豊富なユーゴスラビアの中盤の選手としても活躍していきます。1984年にはロサンゼルス・オリンピックに出場し、銅メダルを獲得しました。

  その後、ユーゴスラビア代表がなくなる1993年まで代表の中心選手として活躍し、54試合出場4ゴールを記録しています。

 

 メシャさんは、その後フランスのリーグ・アンのソショーなどで活躍し、1998年に現役を引退します。なお、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表としても、1996年に2試合出場しています。

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人とのつながりが生んだ、日本とのつながり

 

 メシャさんは、現役引退後フランスで指導者としてのキャリアをスタートさせます。

 オシム監督に育てられただけに、メシャさんは指導者としてもその才能を開花させていきました。フランスで選手からの人望の厚さと、指導力を高く評価されていたメシャさんは、一人の日本人のGMの目に留まります。

 オシムさんを監督として日本に呼び、日本のサッカー界に大きな変革の波を起こした伝説的なGMはその当時、フランス・リーグアンのグルノーブル・フット38のGMを務めていました。そうです、元ジェフユナイテッド市原(現在のジェフ千葉)のGMだった祖母井秀隆さん(現在:京都サンガ)です。

 オシムさん同様に、人を大切にする祖母井さんは監督としてメシャさんを招いたのでした。

 この当時の様子は、NHKの『プロフェッショナル~仕事の流儀~』でも紹介されています。

 メシャさんは、このグルノーブルの監督として、祖母井さんだけでなく、元日本代表の大黒将志選手(現在:京都サンガ)、伊藤翔選手(現在:横浜F・マリノス)、そして、松井大輔選手(現在:ジュビロ磐田)にも指導してきました。

 松井選手は、最近、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表監督にメシャさんが就任した際に、次のようなコメントしてくれています。

 

「メシャですね。あの人、本当にめちゃめちゃうまいんですよ。監督としては、(元日本代表監督イビチャ・)オシムさんに少し似た感じで、彼のチームはすごくパスをつなぐようになります。それほど技術があるというわけではないグルノーブルの選手たちが、どんどんうまくなったのを覚えています。最後のシュートまでいけないなど課題もあるんですが、とりあえずボールキープ率は変わりましたね。ボスニア人の監督は2人しか知らないんですが、確かにボールはとてもつなげるようになります」(出典:GOAL.COM)

 

 日本におけるファンタジスタである松井選手がこのようなコメントをすることからも、現役時代にメシャさんが世界的に有名なスーパースターだらけだったユーゴスラビア代表の中盤を支えた実力の持ち主だったことがわかるはずです。また、オシムさん同様に、選手がどんどん上手くなる、選手を育てることができる指導者であることもわかります。

 

 ボスニア・ヘルツェゴビナでの指揮は初めてになりますが、ズマイェヴィ(ボスニア・ヘルツェゴビナ代表)が再びヨーロッパで輝きを取り戻すには、最高の監督が祖国に帰ってきてくれたことは間違いありません。

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